横歩を取ったら患うか?思想の戦い



雁木について書いていたら、横歩取りについても書きたくなってきました。

横歩取りは自分はあまり指しません。というのは、スリルがありすぎるからです。スリルはリスクに通じていて、序盤で知っているかどうかで大きく違います。知らないと一発で負けになる、そんな戦型だと私は思っています。

そんな横歩なので、飛車先の歩交換後は、目先の一歩得に惑わされず大人しく飛車を引くようにしています。

このような気持ちを持った人が昔もいらしたのでしょう。「横歩3年の患い」という言葉があったようです。

調べると、横歩取りは江戸時代には既に存在していましたが、明治から昭和の初期の時代においては、横歩を取ることを悪手とみていたようです。その時代を象徴するように「横歩3年の患い」という言葉が生まれていました。
この言葉の意味を、自分は、「横歩はとっちゃだめだぞ。とると必ず祟りがあるぞ。」という意味だと思ってきました。なので横歩を取るのは嫌なのです。

そんな嫌な横歩取りを、なぜ今指す人が多いのでしょうか?

横歩に対する考えに変化が起きたのは、戦後ということでした。流行るきっかけを作ったのは木村定跡を生み出したことでも有名な木村義雄十四世名人です。横歩を取ることが実利でもあると考えるようになったことが大きかったようです。時の第一人者が横歩をとるのがよいと言っているわけですから、横歩取り先手有利は動かしがたい通説となります。

しかし、再び横歩をとると患うようになりました。そのきっかけを作ったのが中座真さんです。中座さん創案の85飛車戦法の出現によって、後手の勝率が7割を超える事態にまで及ぶに至り、まさしく先手は患ったのでした。

この後手の85飛車戦法は、その名前からもわかるとおり飛車の位置が中段に引いた形で、これまでは84飛車か、82飛車が主流でした。コロンブスの卵みたいな話ですが、たった一マス、飛車のひき場所が変わっただけで、優劣の判断が逆転してしまった所に将棋の奥の深さを感じます。

ただ、この82飛車戦法の名前の陰に隠れて見過ごされがちですが、囲いもこれまでと大きく変わっています。中原誠十六世名人の名前がついた中原囲いというものです。この囲いは、昔からあったようなのですが、これほど有名になるのは、やはり85飛車戦法と組み合わせてつかわれるようになったからだと思われます。この囲いの耐久力の強さが、先手からの反撃をかわすために必要であり、85飛車戦法が流行する原動力になったと思います。

後手番の横歩取り自体が、横歩を取らせることにより得た手得を生かすために布かれた布陣と見れば、前期「雁木と矢倉は、横歩に似ている!?」で書いた飛車先の歩の交換による手得と同じ観点から、速戦即決の狙いが込められていることとと思います。

手得を生かすということは、手が回らない相手の虚を突くものでなくてはならないと思うのです。相手が万全の態勢を築く前に崩す。そういった攻めの手順を追求し続ける後手と、いかにして持久戦に持ち込むかという先手のせめぎあいといった性格があると思います。

自分は、後手で横歩取りを指す気は全くないのですが、先手なら指してもいいかと思ったことは何度かあります。それは、絶対の攻め手順を見つけるよりも、大きく崩れない守りの態勢をつくる方が有利ではないか?と思ったからです。先手はじっくり用心して待つことができれば勝ちです。

例えば、角道を止めて、雁木に構えなおすことができれば持久戦に持ち込めるのではという思いがあります。持久戦にして、玉を堅くすれば、手損は希釈されて損は薄まり、歩得の有利が一層増します。

待ってる方が気持ちが楽だとは思います。しかし一発が入れば大変なのでやめた方が無難だなって思い、結局指しません。指してみようかな~って思うのですが、やはり指しません。自分から好んで激しい将棋にする気がないからなのでしょう。

先手は、横歩を取るかどうかを決められます。先手が横歩を取るということは、患わない自信があるということです。後手の方が勝率が高いというデータがあるにも関わらずあえて取るからです。何も好んで患うことはない、そう思いつつ、横歩に挑む先手の心境はいかなるものか。きっそそこには私の知らない横歩の魅力があるのだろう、って思います。

ただ、横歩の将棋を見るのは嫌いではありません。それは、横歩を指さない私にとって、横歩取りの戦いは、先手の歩得という目に見える実利と、後手の手得という目に見えない利益を比べる戦いのように見えるからかもしれません。指さなくても見ていて面白いと思えるのは、そういう思想の競い合いが裏で行われていることを感じるからでしょうか。

つくずく将棋は人と人が戦っているのだな~と思います。

 

 

 

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