”名馬は乗り手を選ぶ” 現代ではキタサンブラックと武豊。古の赤兎馬と呂布と関羽に思いを馳せる



名馬の引退

2017年12月24日、第62回有馬記念、G1が中山競馬場で行われ、キタサンブラックが逃げ切って優勝しました。騎乗したのは、武豊騎手(48)。1990年のオグリキャップ、2006年のディープインパクト、そして今回のキタサンブラック。いずれも名馬中の名馬の引退レースを美しく飾った騎手は武豊騎手でした。

この運命的な共通点を見ていると、馬が武豊氏を求めているように見えました。言葉を変えて言えば、馬が乗り手を選んでいると思えてしまう、そんな何かを武豊氏は持っているのでしょう。

 

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赤兎馬

私は名馬と聞いて、真っ先に浮かぶのは、「赤兎馬」という馬です。

「赤兎馬」が活躍した時代ははるか昔中国の三国時代。西暦184年から280年の頃のことです。日本では三国志として有名です。

もちろんこの時代、自動車はない時代なので、移動するための動力と言えば馬です。戦争にももちろん使われるので、どんな馬に乗るかということは当時の武将たちにとってとても重要なことでした。

ある有能な武将がこの名馬に乗りたいと思っても、その名馬が乗せてくれれば良いですが、稀ではありましょうが乗せてくれない場合もあります。馬自身の意思があるのでしょう。

この「赤兎馬」はまさしく意思を持った馬でした。赤兎馬は一日に千里を走ることができ、稀に見る名馬と言われていて、武将たちにとっては羨望の的であったことでしょう。

 

乗り手が馬を有名にする

広い中国、しかも戦争にあけくれる群雄割拠の時代です。馬は貴重な戦力であり、たくさん名馬はいたでしょう。しかし、この「赤兎馬」ほど、その背に乗せた人物が歴史に名を残した馬もいないでしょう。名馬だからこそ乗り手を選んだといえるでしょうか。

まず一番最初に乗せた武将が、三国時代において最強の武将と言われる呂布奉先。

呂布は、三国時代最強と言われています。どのくらい強かったか。それは、呂布が亡くなった後に最強と言われた武将として関羽と張飛がいます。この二人が力を合わせて呂布と戦っても勝てなかったと言われています。

 

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曹操と関羽

次に乗せたのが関羽です。この関羽が赤兎馬に乗るきっかけとなった話はドラマチックです。呂布が曹操に討たれた後、赤兎馬は曹操が持っていました。しかし赤兎馬は気性が激しく、乗り手がいませんでした。

故あって関羽は曹操に捕らわれたことがありました。しかし義の人、関羽は主君劉備への義心から曹操に仕えることを拒絶します。

曹操は、関羽を尊敬していました。何とかして自分の配下に加えたい、そんな思いから様々な贈り物をしますが関羽は喜びません。

しかしただ一つ赤兎馬をもらった時だけは大喜びであったと言われます。関羽も武人ですから名馬への思いは一方ならぬ思いがあったのでしょう。

関羽は見事に赤兎馬を乗りこなしたと言われます。赤兎馬が関羽を乗り手として選んだということなのでしょう。曹操がその喜んだ理由を関羽に聞きました。答えた言葉が、これぞ関羽というものでした。

「この馬は1日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得て、もし兄者(劉備)の行方が知れましたら、一日にして会うことが出来ましょうぞ」

この言葉に曹操は愕然としました。関羽は、どれほど曹操に恩を受けても、己が最初に誓ったことを曲げませんでした。

関羽はこれほどに義を曲げず貫きつつも、事実上の三国時代の覇者である曹操にすら恋い焦がれられた男だったのです。

 

曹操の態度

曹操が英雄たる理由は、これほど関羽に拒絶されたにもかかわらず、関羽が劉備のもとに帰ることを許したことです。

冷静にこのエピソードをイメージして、それぞれの立場で心の内を思ってみると、曹操の態度こそが人として難しいと感じてしまいます。

赤兎馬は、関羽が死んだ後、呉の馬忠に与えられました。しかし、馬草を食べなくなって死んだといわれています。

赤兎馬は、関羽以上の乗り手に出会うことはないと悟っていたのかもしれません。赤兎馬もまた、関羽に似て、強さと義心を合わせ持った馬であったのでしょう。

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