鶴翼対魚鱗の陣形!戦国時代の合戦の布陣が将棋の局面を通して蘇る。



将棋の受けを学ぶ

1952年12月29日に行われた九段戦での対局です。先手が塚田正夫先生、後手が大山康晴先生です。もちろん戦型は矢倉です。大山名人が若かりし頃、矢倉を専門に指されていたことはあまり良く知られておりません。

私も大山名人の将棋と言えば振り飛車が当たり前でした。矢倉戦は激しい戦いに成りがちです。受けの将棋の場合、矢倉戦で後手を持つと、攻め倒されてしまう危険度大です。

そんな大山名人の後手矢倉、見てみたいと思いませんか?

この対局は、1回目を『絶対王者木村義雄十四世名人からはじめて棋界最高の名人位を奪った男』に書いていますがその続きの2回目です。

前回までの局面を再度掲載します。

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後手の大模様

▲7八金 △5四歩 ▲6九玉 △6二銀 ▲8八銀 △5五歩 ▲2五歩 △3三角 ▲5九角 △5三銀右

先手の▲88銀を見たからだと思いますが、後手は△55歩と位を取りました。薄くなった中央を制圧する狙いだと思います。

後手は角が居角で利いていて、銀が位を支える形になると理想形です。先手は▲59角と深く引いて転換を図ります。後手は53銀と中央から駒を繰り出す準備です。

先手も後手も、飛車先の歩を突き越して、昔の矢倉全開です。矢倉も飛車先不突きではなく、ここまで伸び伸びとしていると、飛車が活き活きしています。

矢倉の形

▲7七銀 △5四銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲5八金 △7四歩 ▲6七金左

今でこそ、金矢倉、銀矢倉と言えば、▲78に居る駒は金と相場が決まっていますが、当時の相矢倉はもっと自由な形の矢倉があったのですね。

▲67金左と上がるのは、現在では非常に珍しく、後手の中央の厚みに対抗するための柔軟な一手ですね。矢倉の陣形も相手の形に応じて変化しています。形に対するこだわりがない感じがすごく新鮮です。

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鶴翼の陣形 対 魚鱗の陣形

△6五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲6六歩 △5四銀 ▲3六歩 △5三銀

後手は、6筋の歩を交換しに行きます。先手はがっちり▲66歩と受けます。この▲77銀と▲67金の備えがあって、66歩とがっちり受けて敵の銀を跳ね返した形が矢倉の堅陣を思わせます。

後手は2枚目の銀を戦線に投入してきます。中央の厚みが半端じゃないですね。

なんか、この先手と後手の陣形を眺めていると、戦国時代に出現したであろう、戦の陣形を想起させます。

先手が鶴翼の陣形に対して、後手が魚鱗の陣形です。まさに三方が原の戦いでは、武田信玄を相手に徳川家康が布いた陣形です。歴史では信玄が勝ちましたが、本局はどうでしょうか。

追伸

戦国時代に旗指し物を香車にする武将がいたそうです。後ろに下がれない香車。前に突き進むしかない香車。そんな香車が戦国武将の心意気だったのでしょう。

将棋は、日本の歴史とともにあるのが良くわかるエピソードです。

将棋の局面を、実際にあった合戦の布陣に見立てて鑑賞するのも趣があります。

他にも棋譜を並べています。よろしければご覧くださいませ。→棋譜一覧

あなたの将棋ライフが楽しいものでありますように!

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