戦後間もなくの棋譜を楽しむ。矢倉は本当に終わったのか?



矢倉は本当に終わったのか?源流をひも解く

戦後間もなくの頃、1952年に行われた対局です。先手が塚田正夫先生、後手が大山康晴先生です。矢倉の源流を探る意味もありますが、戦型は矢倉に限定しています。

大山名人が若かりし頃、矢倉を専門に指されていたことはあまり良く知られておりません。私も大山名人の将棋と言えば振り飛車が当たり前でした。

矢倉戦は激しい戦いに成りがちです。受けの将棋の場合、矢倉戦で後手を持つと、攻め倒されてしまう危険度は大です。後手矢倉で攻めを受け止めて勝つことができれば受けの技術は上がるのではないか、そんな思いで並べています。

そんな大山名人の後手矢倉、見てみたいと思いませんか?

この棋譜は1回目は『絶対王者木村義雄十四世名人からはじめて棋界最高の名人位を奪った男』に、2回目は『鶴翼対魚鱗の陣形!戦国時代の合戦の布陣が将棋の局面を通して蘇る。』に書いていて今回は3回目です。前回までの局面を再度掲載します。

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先手、玉を囲い、後手争点を変える

▲4七銀 △6四銀 ▲7八玉 △4二角

先手は、後手の中央の厚みを受け止めるため、▲47銀と守りを固めます。後手は△64銀と圧力をかけてきました。先手は玉を▲78玉と固めます。

▲78玉の形は、バランスの取れた玉の位置です。通常の矢倉では▲88玉なので、そこからすると囲われていない分薄い感じがします。

しかし、中央から攻めてくる以上、金銀の守りを、偏らせるわけにはいきません。この偏らない分の玉頭の薄味を突こうと、後手は△42角と引きました。

もしこのまま玉頭を攻められると、駒をバランスよく配置していることがマイナスになってしまいます。さてどうするのか・・・。

中央からの意表を突いた攻め

▲5六歩 △4一玉▲5五歩 △同銀右 ▲3七角

 

先手は、薄い8筋から玉頭を攻められるよりも、中央から戦に持ち込む方が、安全であるとも言えます。反発する場所は、今まで後手が厚みを築いてきた一番堅い5筋からです。

この5筋からの反発には、後手の角が42に引いたことより、5筋の守りが薄くなったことがその引き金になっていると思われます。

後手は、△56同歩と取らずに、△41玉と玉形を安定させようとします。これは後手としては指しておきたい一手です。居玉だと何かと流れ弾に当たります。

先手の▲55歩の取り込みに、後手は同銀右と応じます。これも同銀左とは取れませんので、仕方ないのですが、これまで8筋方面で働く予定であった銀が中央に引きもどされた感もあって機先を制された感じがします。

先手としては、ここから決戦に持ち込みたい腹なので、▲37角と遊んでいた角を配置して、関節的に圧力をかけます。ちょうど角のラインに、銀と飛車が入りました。

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先手、後手の位を消す

△5二飛 ▲5六歩 △6四銀 ▲6八金寄

後手もここが天下分け目の関ヶ原と言わんばかりの△52飛車の圧力です。先手は、ここで一旦収めて▲56歩とがっちり受けました。受けるべきところはしっかり受けるといったところです。

先手は一旦敵の銀を引かせておいて、空いた一呼吸で▲68金寄りです。玉形の安定をはかるのがもっとも大事なところです。

▲68金寄で、先手は片矢倉と呼ばれる堅陣になりました。一回手が戻ることを見越していたかのような一手ですね。バランス重視の構えから、一転、すっきりした陣形にまとまりました。

まとめ

振り返って見ると、後手は、後手が最初に所有していた△55歩の位を失ってしまいました。ただ、後手は歩を二枚手にしています。この2枚の歩をどう攻めに活かすか?

また、玉の形を見ると、先手陣は片矢倉の堅陣ですが、後手は不安定です。先手が受け、後手が攻めの構図となりました。先手の反撃はどこで行われるか、そしてそれがどれほど厳しいか、注目するところです。

追伸

将棋は古い棋譜を並べることができるのが素晴らしいところです。古い棋譜は、まるで本のようです。本はたくさんのことを教えてくれますが、古い棋譜もまた、たくさんのことを教えてくれるんです。

棋譜を並べる人の棋力に応じて、その感じ方が違うのも面白いです。きっと、同じ棋譜を見るにしても、昔見た時と今見た時では感じ方も違うでしょう。

将棋の強い方には、へぼ将棋とも思われて恥ずかしいところではありますが、将棋のおもしろさを自分なりに表現したいと思い、記事を書いています。

他にも棋譜を並べています。よろしければご覧くださいませ。→棋譜一覧

将棋を指す人が増えますように、そしてあなたの将棋ライフが楽しいものでありますように。(^◇^)!

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