角換わりから矢倉へ。矢倉は富士の樹海のように難しい?



自陣角を打とう!漠然とそういう思いで将棋を指すことが多くなりました。とにかくあの形にしなくては・・・。そう思った形というのは、前記事で紹介した46角の自陣角。

再掲図

しかし、まずこの形にならないこと、ならないこと。そもそも相手に飛車を振られてしまうともうおしまい。飛車が振られたらどうしよう、って気持ちでいるのですが、大体において対戦する相手は飛車を振る人が多い。特に四間飛車。当時は振り飛車大全盛の時代でした。

相居飛車の将棋になることが少なかったのですが、たまに出現するとすごく喜びました。しかし相居飛車と言っても種類が沢山あって、矢倉、相掛かり、横歩取り、と、当時は名前も知りませんでしたが、出だしが違うとかなり落胆しました。

本当にごくたまに、角替わりになると、すごくうれしくなるのですが、最初のところだけで、なかなか45歩と位を取る展開になりません。

従って46角の自陣角も打てない。

こうなると、かなり角換わりという戦法自体に面白みを感じなくなっていきました。

”出現率が少なすぎる。”

これが当時自分が抱いた感想でした。

やはり自陣角というのは幻であったのだろうか?そんな思いで打ちひしがれていて、自陣角にこだわることを一時やめました。その結果、やはり居飛車系の将棋で出現率も高く、人気の衰えない戦法ということで、もう一度矢倉を探し始めました。

矢倉にもう一度戻るといっても、どこに戻る?って感じなのですが、これは、と思って出会った本が、「羽生の頭脳」でした。

この本は、当時は、今よりも細かく戦法毎に別れていて、矢倉について書かれていたのは5巻と6巻でした。

5巻を買って勉強したのですが、読んでも当時の自分にとっては高度過ぎた印象がありました。

実際に矢倉と言っても、たくさん種類があって、何をどう指せばいいのかって迷うばかりでした。勉強しても、実際に、定跡通りの形になることは少なくて、あまり実践には役に立ちませんでした。

ただ、この当時「羽生の頭脳」はバイブル中のバイブルで、これを読まないと始まらないという感じの本でした。

この本を買って通算すると何回も読んでいるのですが、その中で、特に読み返した部分というか最も印象に残ったのは、35歩早仕掛けの定跡でした。先手番を持って、囲い合いの矢倉になった時、どこから仕掛けるのか?っていう疑問に答えてくれたので親しみを持ちました。

”なるほど、矢倉は3筋の歩交換が一つの争点なのか。”

そんな漠然とした感触ですが、とてつもなく大きな一歩だったと今では思います。

というのも、全く分からなかった将棋の定跡の中で、おぼろげながら矢倉を目指したのはいいのですが、矢倉と言っても、まるで富士の樹海のように広すぎて、一体どこから手をつけていいのやら、って感じでした。

そんな中、3筋の歩交換を通して、先手と後手の攻防が繰り広げられるという構図を見つけたことは、当時の自分にとって、大きな成果でした。

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