将棋との出会い



将棋と曾祖父

将棋は曾祖父から、多分私が小学校6年生のころに教わりました。明治生まれの戦争帰りの人で、父や祖父や親戚からとても厳しい人と言われていました。しかし日常生活をする中で自分にはとても優しい人でした。

私が中学校2年生の時に曾祖父は他界しますが、それまでの間、わずか3年くらいの間でしたが、とても楽しい時間を過ごしました。

まず学校から帰ると、こたつで曾祖父と毎日将棋を3局くらい指していました。あっという間に1時間とか2時間とか過ぎて行きました。

負けてはもう一度と繰り返し挑戦する中で、自分でも強くなっているのが楽しかったです。初めは全く歯が立たない。でもいつの間にかとっかかりというのか、糸口みたいなものが見えてくるんです。

当時の曾祖父は79歳位でした。しかしその老人が本気で考え込んでいる。こういう姿を見ると、子供ながらにとても面白かったです。大の大人が、もう人生を知り尽くしたともいえる大人が、小学生を相手に本気で考えている。

そんな姿を傍から見たら、なんと大人げないと思うでしょうか?自分は当時おぼろげながら、自分のような子供でも曾祖父とこんな楽しい時間を過ごせることに不思議な感じを持っていました。

それは今になって思えば、世代間コミュニケーションというのでしょうか、全く異なる時代を生きてきた老人と子供が、同じ土俵で対等に本気で勝負をしているということに、面白さというか不思議さを感じていたのだと思います。

勝負事になると、人は本当の性格が表れると言います。例えば、全く初対面の人と、何時間も話しているのに相手のことはわからないが、一日だけでもその人とゴルフに行くと、その人のことが分かる、とある先輩は話してくれたことがあります。

将棋でもきっとそうなのだと思いますが、僕が負けて曾祖父の勝ちにケチをつけた時、耳を真っ赤にして怒っていたのを覚えています。

僕もとても悔しかったのだと思いますが、それにしても、80歳になろうかという人が子供と指した将棋のことでそんなにむきにならなくても、とあとで思ったことがありました。

将棋が好きだったから続けられた、とも思いますが、その当時の自分を思い返すと、曾祖父との将棋が楽しかったから続けられたのだと思います。あの思い出が今でも昨日のことのように思い出されます。

曾祖父は、その後、僕が中学2年生の夏に他界します。その時の思い出も今となって忘れられずに残っています。曾祖父が入院している時、僕は一度だけ将棋盤を持ってお見舞いに行きました。

何カ月もご無沙汰だったので、とても楽しみに行ったのを覚えています。その時病室で指した将棋が最後となりました。

その将棋は、あっけなく私が勝ちました。まるで覇気を感じなかったというか、曾祖父に勝とうという気持ち、いわゆる闘争心が感じられなかったのを今でも覚えています。指した後私の心にさみしい気持ちが生じたのを覚えています。

今になって思えば、あれは曾祖父との別れの儀式であったのかもしれないと思います。曾祖父との間に交わした将棋という言葉を通して、当時中学生だった自分は多くの言葉を知りませんでしたが、であるがゆえに、将棋が曾祖父との間にあってよかったと、そう思います。

将棋は、思い出を共有するためのものでもあると思います。将棋の盤の向こうに人を感じるからこそ、面白いのだと。そこにその人の性格や心の動き、息遣いを感じることができることが尊いのだと。

もし仮に自分が曾祖父の立場として、曾孫と将棋を指しながら過ごす晩年はどれほど幸せであるだろうかと思います。

自分の跡を生きる少年と盤を通して語り合う。そこにこれから先の少年の未来を見つめると同時に、今まで生きてきた自分の時間との連綿と続く様を思い浮かべるとしたら、それはまさに遠くのほうから流れてきて、そして遠くに流れていく一筋の川のような風景を見ることができるのではないでしょうか。

思い出を共有しながら、世代を超えた会話を重ねるための手段として、これまで生きてきた人とこれから生きていく人との架け橋になる将棋は、やはり素晴らしい、そう心の底から思います。

曾祖父が他界した後、将棋の相手を失った自分は、将棋から5年離れていました。まさに将棋は当時の自分にとって曾祖父との会話の手段であったのだと思えてなりません。

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